詩趣にとむもの

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詩趣にとむもの

もっていることだったため、かぎられた夏期講習がおこなわれるだけの夏のあいだも、アーカムに留まっていなければならないようだった。しかし結局のところ、わたしたちは幸運に恵まれた。ある日、無縁墓地で、ほとんど理想的ともいえる死体の話を聞きつけたのである。筋骨たくましい若い作業員が、つい昨日の朝、サムナーの池で溺死《できし》して、防腐処置もほどこされずに町費ですぐさま葬られたとのことだった。その日の午後、わたしたちは新しい墓を見つけだし、真夜中をすぎてすぐに作業をはじめる決意をかためた。
 わたしたちが闇につつまれる深更におこなったのは、胸のむかつくような作業だったが、そのときは後の経験でもたらされることになる、墓場に対する特別な恐怖は感じなかった。わたしたちは踏鋤と、必要に応じて遮光《しゃこう》できるオイル使用の角灯をもっていった。懐中電灯が既に製造されていたが、今日のタングステン使用のもののように満足のいくものではなかったのだ。掘り起こす作業は遅々として進まず、あさましいかぎりで――わたしたちが科学者ではなく芸術家であったなら慄然《りつぜん》たるになったかもしれないが――やがて踏鋤が板にあたったときには安堵《あんど》の息をついた。松材を使った棺がすっかりその姿をあらわすと、ウェストが墓穴に入って蓋《ふた》をはずし、死体をひきずりだして抱き起こした。わたしが手をのばして死体を墓からひきだしたあとは、ふたりしてその場所を元通りにするのに骨をおった。はじめて墓場荒しをしたこと、とりわけ初の戦利品の硬直した体とうつろな顔のために、わたしたちはいささか神経を高ぶらせていたが、どうにか墓をあばいた痕跡をすべてとりのぞくことができた。そして最後の土をかけて踏みかためると、標本をキャンヴァス地の袋にいれ、メドウ・ヒルの奥のチャップマン農場の廃屋にむかったamway濾水器
 古びた農家のまにあわせの解剖台の上で、強力なアセチレン・ランプの光に照らされている標本は、さほど不気味な姿には見えなかった。健康な庶民の典型といった、がっしりして見るからに実直そうな青年で――骨格はたくましく、目は灰色で、髪は茶色――神経の細やかさはなく、おそらくは最も単純にして健全な生命作用を備えていた人間だった。目を閉じているその姿は、死んでいるというよりは眠っているように見えたが、わが友人の熟練した検査によってその点についての疑いはなくなった。わたしたちはついにウェストが求めてやまなかったものを手にいれたのだ――人間に用いるため、綿密きわまりない計算と理論に基づき用意された試液を注入できる、理想的な紛れもない人間の死体を。わたしたちの緊張ははなはだしいものになった。完全な成功のごときものの可能性がとぼしいことはわかっていたので、部分的な蘇生からグロテスクな結果が生じるかもしれず、それを思うと慄然たる恐怖がこみあげ、どうにもはらいきれるものではなかった。わたしたちがとりわけ懸念したのは、生物の精神と衝動にかかわるものであり、死後の空白のうちに繊細な脳細胞の一部が劣化しているおそれがあるためだった。わたし自身は、人間が「霊魂」をもつと昔からいわれることについて、自分なりの概念をなおもいだいていて、死から蘇った者が秘密につつまれた死の実体を明らかにするかもしれないと想い、畏怖《いふ》の念にうたれていた。この穏やかに横たわる青年が到達しがたい領域で何を目にしたのか、十分に蘇生したとき何を語ってくれるのかと思ったものだ。しかしわたしもおおむねわが友人の唯物論をわかちもっていたため、こうした疑問も心むしばまれる圧倒的なものではなかった。ウェストはわたしよりもおちついていて、かなりの量の試薬を死体の腕の血管に注入すると、ただちに傷口をきつく縛りあげたDPM床褥

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